先日、SNSでフォローしている写真家が上映中の映画 『悪は存在しない』 を取り上げていた。
このカメラマンは、屁みたいな投稿を日に山のようにアップする人ではないし、文中の、”ゴダール・小津へのオマージュ” という箇所がひっかかり、俄然、『悪は存在しない』 が観たくなって、先日の雨の日、シネマテークたかさきに観に行ってきた。
前作 『ドライブマイカー』 も一応観ている。感想はブログに書いた。
今回の 『悪は存在しない』 という映画についても、ネットでどんな映画か情報を得ていた。
たとえば、自分は東京に居たころは、与党であるジミン党が大嫌いだった。入れる党がないときは受け皿的にキョーサン党にも票を入れた。
群馬の田舎に戻ってずいぶん経ったら、なんでもかんでも反対ばかりで実のない万年野党が胡散臭く感じ、政治に関する見方が大きく変わった。
人は立場や環境によって考え方や視点がガラリ変わることを身をもって知った。
田舎に引っ込んで考え方がひっくり返った記事はこちらも
- ねぎ畑の脇の木を伐る人
https://www.shimonitafarm.jp/blog/2023/05/22-22072377/
自然豊かな高原にある長野県水挽町は、東京から近いために移住者が増え、緩やかに開発が進行している。その地に先祖代々暮らす巧と娘の花は、自然のサイクルに合わせた慎ましい日々を送っていた。ある日、巧の家の近くにグランピング場を作る計画が持ち上がる。コロナ禍で経営難に陥った芸能事務所が、政府の補助金を得て立ち上げたのだ。しかし、彼らが町の水源に汚水を流そうとしていることがわかると町内は動揺し、その余波は巧の生活にも及んでいく…。~
「木を伐るな」 という 木のない所で生活している人、「熊・鹿がかわいそう」 という自分に被害や危険性のない所で生活している人、自然栽培・有機栽培の野菜=美味しい、農薬=悪、泥=汚れ という土のないアスファルトの上で生活している人らと似た視点の映画だろうと思っていた。
で、冒頭で書いた通り、中身の主張より映像の美に期待して観に行ったわけだけれど、たしかにオープニングの木々の流れと石橋英子の音楽の調べはウットリするほど素敵だった。が、それ以降は、田舎で暮らす者の目から見て、不自然に思えることがやたら目について困った。
田舎の農家や林業にたずさわる人の家周りは、たいていもっと煩雑でいろいろな物、たとえば先代のころからずっと置いてある物とか都会のようにすぐ買える所がないので何かと時に使える物とか都会とちがいスペースがあるので、とりあえず置いておく物が多い。とくに主人公は便利屋だから、なおさらいろいろな物がないといろいろな相談に対応できない。
主人公の服装も移住したての人かと。車が脚代わりの田舎で、コートの男性はまずいない→運転・乗り降りに裾が邪魔。田舎はしゃがむことも多い→雪でぬかるんでいるので、裾が汚れやすい。
さて、問題のラストだが (ここからは、ネタバレあります)、唐突過ぎて、え? なにそれ?
ここから話をどう〆るかがこの映画の肝だと思っていたら、首絞めて終わり・・・って。
単に、自然と共に慎ましく生きていますという顔をしているけど、実は人を殺めることも厭わない悪人だった、という話なのか・・・。
それとも、口下手の断言癖はサイコ野郎だけど、悪ではない、ということか・・・。
『もののけ姫』 の方が、『悪は存在しない』 ってタイトルにふさわしいな、と思い小便した後、撮ってみた。