香川の直島と広島の宮島に行ってきた。その4。
広島へは、4回くらい行っていると思っていたが、広島の旧友の結婚式のときも出席してたらしく(記憶がない)、そうすると5回くらいか。
なので、宮島へも2~3回行っていて、もう充分だったけど、カミさんが行ってないから行きたいらしく、もう充分だったけど、行ってきた。
春のネギ植えが始まり、のんびり書いている余裕がなくなって、旧友との20年ぶりくらいの再会の夜の事などははしょり、タイトルに入れてしまった宮島メインで書こうと思う。
今や世界的な観光地になって、混み混みになっているところにわざわざ出向くのは性格的に気乗りがしないので、すこしでも空いている時間帯にということで、広島駅近くの相鉄フレッサインというビジネスホテルにしたが(広島駅から山陽本線で宮島口駅まで2,30分。広電で行くのよりも早い)、8時出発予定もカミさんがグズグズしてて一時間くらい遅れてチェックアウト。
フェリー乗り場はすでに人がたくさん。20年ぶりくらいの宮島だったが、午前中の早い時間というのもあって厳島神社は干潮時、水につかっていないとやっぱり映えない。 なので、本殿の写真は撮ってない。
直島では見かけなかった、インドなどの南アジア、東南アジア、ラテン系なども多く、団体客もわんさか居て、逃げるように山頂展望台ロープウェイへ。
6人乗りゴンドラ、自分の前にカミさん、カミさん横にノルウェー人カップル、自分の横にメキシカンの若者、その隣に小柄で静かな欧州人らしきオジサン (メキシカンの若者がノルウェー人カップルに英語で話しかけて判明)。
山頂展望台、どんよりしていたが、瀬戸内の島々もかろうじて見ることができ、早々に戻る。
帰りのロープウェイ切符売り場には長蛇の外人の列。
さて、厳島神社といえば、個人的に好きな場所があったので、最後にその場所へ。
その場所は、大鳥居を過ぎ、右に降りると神社本殿の入口のところを左、山側の階段を登り上げると、巨大な舞台のような社が建っている。画像、上2枚。
当時の残っている記憶は、のんびり眠くなるような春の午前、さわやかな夏の午後、にぎわう眼下の厳島神社にくらべ誰もいない。春のときも夏のときも自分独り。
(今回、受付がいて初めて料金を取られたが、当時は無料だったし誰もいなかった)
そのころは、小さいながらもアパレル会社を経営していて、旅先で離れたところで、会社を自分を客観的に外から見つめる目を養おうとしていた。
しかし、あまりに心地よい天国のような場所で、小難しいことをチマチマ考えるより、気持ちよさに身をゆだねるように、一時間くらい (正確には40分くらいだったと思う)、ボーっとしつつ、とりとめのないことをダラダラ考えて過ごした。
当時のことをもう少し書いておくと、2000年~2002年の間くらいの短期間に複数回、広島に行っていている。
それは友人が市内に洋服のセレクトショップ (路面店) をオープンする時期で、仕事半分遊び半分だった。
そのころ、歴史の表立った人物より、軍師とか裏方に興味を持ち、竹中半兵衛や黒田官兵衛などの本を読みあさっていて、その流れで安芸 (広島) の外交僧・安国寺恵瓊 (あんこくじえけい) が次に読むべき人物と感じ、都内の大型書店をいくつか周って探したが見当たらなかった。
それで広島は恵瓊の地元だから、ひょっとしたら・・・と、広島滞在時、友人に市内の古書店と大型書店の場所を聞きだして探したけど、結局、広島でも見つけることはできなかった。
で、今回、厳島神社エリアのマイお気に入りの場所を書くにあたって、名前がわからないからネットで調べたら、千畳閣 (豊国神社) という名称だった。
さらに、千畳閣 (豊国神社) は、1598年、豊臣秀吉が政僧・安国寺恵瓊に武士の鎮魂のために建立を命じた大経堂と知って、驚いた。
(ちなみに、安国寺恵瓊の本探し、その後は追求せず、なので読んでもない)
広島市内に2時くらいに戻り、遅い昼食を取って、夕方の新幹線で帰る (窓口は長蛇の列に並ぶことになので、朝、指定席を買っておいた)。
今回は、原爆ドーム・平和記念資料館は、時間がなくて行けず。前に行っているが、せっかく来たので再訪したかった。
夜11時前に自宅に着く。