香川の直島と広島の宮島に行ってきた。その3。
画像は、海辺の大竹伸朗作品。
チェックインの際、受付のスタッフとの会話から宿泊者はフランス人がすごく多いと聞いていた。
実際、翌朝の朝食時、フロント横の小さな食堂では、前後左右からフランス語が聞こえて、日本の離島に居ながら渡仏したような、目をつむれば仏映画の中にいるような錯覚に陥って面白かった。(隣にフランス人老夫婦、前に2、30代男性フランス人4人グループ、斜め後方に30代くらいのフランス人女性二人組、奥にもフランス人老夫婦、日本人はわたしら以外、後ろのテーブル席に3人だけ。朝食は、洋スープがメイン、トースト、サラダ、ソーセージ類、ポテト)
給仕スタッフは金髪の日本人とワーホリっぽい外国人二人。金髪の日本人が一人でオーダーを取り、配膳をしていて、外国人二人はボーっと突っ立っていただけだった。
チェックアウトを済ませ、港内のロッカーに荷物を預け、レンタサイクル店A に行き、自転車で本村地区を経て、自転車通行禁止のベネッセ帝国・東ゲート手前まで行く。
途中、雨の少ない瀬戸内気候らしく、ため池があちこちある。オリーブの木もあちこち植えられている。外来の木を植えまくって、在来の植生が変わり問題はないのか、ふと思う。
2、30分のサイクリングで自転車Pに着いたら、撮影待ちの行列ができるという、直島のアイコン的・草間作品の黄色・南瓜 (台風ですっ飛ばされて一年ほど不在だったが、復元され2代目) へ。
平日の早い時間だったので、スカスカ。ただ韓国人の若い女性2人組がながながと交互に撮り合っていた。
長い坂道を登って (ベネッセ宿泊者はシャトルバス移動)、ベネッセ・ミュージアムへ移動 (案内看板がよくわからず、宿泊者以外はエントランスもわかりづらい)。
鑑賞後、長い坂道を下って (ベネッセ宿泊者はシャトルバス移動)、杉本博司ギャラリー 時の回廊へ (案内看板がよくわからず、宿泊者以外はエントランスもわかりづらい)。
個人的に一番映えた作品 (杉本博司ギャラリー 時の回廊)。
硝子の茶室 「聞鳥庵」(杉本博司ギャラリー 時の回廊)。
ベネッセ・ミュージアム内の作品。渋川のハラ・ミュージアムで同じ人の作品をみた。
ベネッセ敷地内の作品。箱根・彫刻の森美術館で同じ人の作品をみた。
宮ノ浦港の赤カボチャ付近の丸イスも金沢21世紀美術館で同じのをみた。
同じ作者の作品をあっちこっちで観て、我ながら、いろいろな美術館に行っているなぁ~とも思ったし、なんか世間は狭いなぁ~とも思った。
その他、感じたこと。
美術館での、フランス人と東アジア (中華系、韓国、フィリピン) の違い。
李禹煥美術館でのこと。
上画像は、安藤建築の代名詞と言えるコンクリート打ちっぱなしの壁の通路に、オレンジ色の鉄板がポツンと埋め込まれただけの李禹煥 (リ ウファン) 作品だが、館内のエントランスに向かう途中の壁の通路で、コンクリート壁の小さな穴ぼこ (Pコン跡) を指さして2人のフランス人男性がああだこうだ議論していて、あーフランス人っぽいなと思った。
中の展示品を見終わって、ふたたび壁の通路を引き返していたら、さっきのフランス人男性2人は、今度はコンクリート打ちっぱなしの壁に埋め込まれた小中学校などでよくみる非常ベル (赤いランプカップ) を指さして意見を言い合っていた。
参考画像
「ヘイ、ムッシュー、ノンノン、それ非常ベル」 とカン違いを教えてあげたかったが、気力がなかった・・。
画像は、中華系の人。スマホカメラの向こうには、被写体である奥様が変わったデザインの装いで、あっち向いてポーズ、こっち向いてポーズ、あっち指さしてポーズ、こっち指さしてポーズ、ポーズバリエーションが豊富だった。
東アジア (中華系、韓国、フィリピン) の人は、総じて映え系作品に目がなく、いろいろなポーズをしてずっと撮っている。
東ゲートちかく、自転車を止めたところ付近の埋没鳥居。
鳥居の向こうの浜辺には、外国人ファミリー2家族10人くらい居て、子供(幼児?)がまっ裸ではしゃいでいた。春なのに・・・。
ちかくの直島食堂で昼を食べようとしたが休みだったので、宮ノ浦港までもどって、港内の飲食できるスペースでカレーを食べて、13:55発の客船で直島を去り、広島へ向かう。