以前、このブログで何度か書いたけれど、司馬遼太郎の 『峠』 という本が好きで、なにか挫けそうになった時とか迷い悩んだ時など、繰り返し読んだ。
いまは、上・中・下の三巻になったようだけど、自分が読んだときは、まだ上巻と下巻の分厚い二巻だった。上巻の方が特に好きだったので、下巻に比べ、上巻は擦り切れ度がひどく、ボロボロになっている。*1
自分の愛読した小説 『峠』 が、映画化 『峠~最後のサムライ』 されたことはずいぶん前に知っていた(公開がコロナで延期になっていたのも知っていた)。
自分は、田舎に戻る前に、継之助の終焉の地である会津只見のお墓にもお参りに行ったくらい、影響を受けた人物だけれど、観ようという気にはならなかった。
まず、近年のなんでもかんでもサブタイトルを付ける風潮が、軽薄な感じで好きではなかったし、何より、その副題の侍がサムライと片仮名にしている時点で、幅広アピール・薄味内容の、観てガッカリする自分が容易に想像できた。
それに、『峠』 の主人公である、長岡藩の河井継之助が表舞台に出てきて活躍したのは アラ40の四十歳前後だ。
なので、主人公を演じる役所広司は、ちょっと歳が行きすぎてて、(役者としては申し分ないが) 違うなぁと。
小説まるまる (さいきんハヤリの「まるっと」という言葉はあえて使わない) 映画化はその長さからまず無理だろう、悲壮感で重苦しい下巻の映画化か、だとしたら相当の演技力のある役者でないと務まらない、とすると、役所広司はまあ的役なのかも知れないが。
単純に説明しやすい上記2点の理由で、当初はまったくもって観るつもりはなかった。
が、2020年秋公開だったのがコロナで大幅延期ののち、22年6月17日にやっと公開が決まって、これは・・・観るべきなのか・・・となった。
自分は、一年中ネギの世話やら何やらで、劇場で映画を観られるのは、限られた数カ月しかない。
6月17日公開なら、夏の植え替え前の比較的時間の都合の付く時期だ。
試しに観てみて、思いのほか良かったら、あの地獄のような夏の植え替え前に気合いが入る!
というか、この公開日は、継之助がわたしに植え替え前に観るべし!と云っているような感じに思えてきて、公開初日17日の一番遅い18時の回に行ってきた。
(監督の小泉氏は黒澤組の人で、鑑賞済みの 『雨あがる』 はなかなかの良い作品だったので、ひょっとしたら、という気持ちもあった)
公開初日だったが、観客はわたしとカミさんの他、2名 (男) の、4人だけだった・・。
で、結論から云えば、植え替え前に気合いは入らなかった・・・。
絵がきれい (スクリーン映えするショット) なだけで、深みがなかった・・。
たとえば、継之助の髪型は武士らしく月代 (さかやき) だったが( 写真集参照)、役所広司扮するサムライは幅広アピールの見栄えを重視したのか、剃り上げてない。
絵面 (えずら) は万人受けするように分かりやすくしている一方で、セリフはそうじゃない。
役所扮する継之助の武士に関するセリフで 「ろくをはむ」 というのが出てきた。
「ろくをはむ」 は「 禄を食む」 だが、果たして歴史小説など読まないカミさんに理解できたのだろうか・・・。
劇中では 「晩秋」 だったが、継之助が脚を負傷し、やがて壊死するほどの状態で、県境の難所・八十里峠を越したのは暑い 「夏」 だった。
自分も、地獄のようなひと夏を乗り越えられる強い ”なにか” を感じ得られれば、と臨んだが、そういう映画ではなかった・・・。
*1 『田舎の三年・京の昼寝』2009-03-27 23:10:28