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9年前のきょう

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9年前のきょう (2009/8/26) ――、山の上のネギ畑で中耕作業中  *1 、あやまって自分の左脚を耕してしまい *2 、ドクターヘリで運ばれたわけですが  *3 、あのとき左脚下腿部を貫通し、わたしの脚のなかに2時間ほどいた耕運機の爪 (刃)  は、いま現在も現役でネギ畑を耕しています。 【画像・上2枚】
 
 *1 )
山の上の畑は、粘土質の里の畑とちがい柔らかい土質ですが、このときは通常の下仁田ねぎ畑ではなく、農を通して何か面白いことを、下仁田ネギで町おこし的なものをと、下仁田ネギの鑑賞用花畑「下仁田ねぎぼうず園」 を地元高校生と作っていました。
生徒が手伝う植え付けや草むしりの際、土を踏み固めないよう、畑のなかはなるべくソフトに歩くようにと、はじめに注意したけれど、そこはやっぱり10代の高校生、山の上の畑のもつ解放感から気持ちが高揚したのか、始終元気よく飛び跳ねたりして、畑を踏み固めてしまったのでした。
結果、土が硬くなって、耕うん機の爪が入らず機械が跳ねるので、対策を練ろう一度バックし、旋回しようとしたときに作業パンツのスソが巻きこまれ、左脚の脹脛に刃が突き刺さって自分では抜けなくなってしまいました。
 
*2)
当時、農作業するのに、昔の (アパレル時代買った) どーでもいい服を着ていて、そのときも、「Y’s for Men (ワイズ・フォー・メン)」 のワークパンツでした。Y’s/ヨウジ・ヤマモトといえば、黒色でゆったりとしたシルエットの服が特徴ですが、薄くて軽い太めのパンツだったため、気が付いたらスソが耕運機のロータリー部分 (刃が回転している部分) に巻き込まれてました。
 
*3)
携帯電話で家に電話し、大至急、救急車を呼んでもらいました。(直接119番しなかったのは、畑の場所が奥まっていてうまく説明できそうになかったので、まずは家に電話し、現場の畑まで誘導してもらうのが手っ取り早いと考えたのです)
 救急車やパトカーがあわただしくやってきたころには、自分ひとりだった山の上の畑まわりには、たくさんの人がいて、頭上にはなんとヘリコプターまでが旋回してました。
救助の人は、懸命に脚に刺さっている刃を耕運機から取りはずそうとしましたが、ボルトがさびてたりしてなかなかはずれない。 おれは耕運機と一緒に病院に搬送されるのか・・・、と思っていたところ、脚がフワッと耕運機からはずれ自由になった。
結局、刃だけ脚に突き刺さったまま担架で救急車に運ばれ、救急車から、ちかくの小学校の校庭で待機していたドクターヘリに乗せられたのでした。
 
ドクターヘリの出動は群馬県では2例目だったそうで、その後日テレの「救命ドクターヘリ」とかなんとかいう特番で再現ドラマ的なものに使われたようです。
 
【画像・上2枚】 きのうは7月に植え替えた畑の中耕。耕うん機を持ち上げて爪のアップ。
 
【画像・下】
左上 1: レントゲン画像1。ヒラメ筋 (脛ふくらはぎ周辺の筋肉) をバッサリ。
左上2 : レントゲン画像2。不幸中のラッキー、骨と骨の間に爪が抜けてます。 コレがちょっとズレていたら、骨をスポーン、動脈をプツーンと切ってました・・・。 
右上:術後2日目の左足。まだ傷口にラインが入っているため、ぐるぐる巻きの包帯が山盛りです。その包帯の下には、Z状の、29針のキズが横たわっています。
左下:事故現場のネギ畑。当時はまだ農免道路が開通していなくて、救急車もたどり着くまで苦労したようです。
右下:レントゲン後、ドクターによって脚から抜かれた爪。その後、ふたたび耕運機のロータリー部分にとりつけ、現場復帰。
 
ということで、ひさしぶりにドクターヘリ/怪我ネタを。痛い思いした分、何度も記事にしなきゃあもったいないのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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Posted in 百姓二揆(ヒャクショー・ニッキ)

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