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古傷と農サンキュー

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わたしの左手・親指の付け根のところには、
オタマジャクシのような 4cmほどの傷跡がある。
幼い頃、畑でつくった傷だ。
その頃は地域周辺が争って農業をしてた時代で、
わたしは農家の長男だから手伝うのが当たり前、小学校に上がる前から手伝わされた。
まわりの子供らが遊んでいるのを尻目に毎日畑、子供心に農家はつくづくソンだと思った。
それに親父はワンマンのモーレツ気質、気短の怒りんぼうだったから、
手伝って褒められることなどあるわけはなく、しょっちゅう怒鳴られ怒られるから嫌で嫌でしょうがなかった。
あるときわたしは、畑の隅でふてくされていた。
理由は思いだせないが、おそらくは手伝わされていることへの不満がたまっていたのだと思う。
すこしでも親が作業している所と距離をおきたかった。
畑の隅には桑の木が境界線替わりに植えてあって、根元には剪定された桑の枝がおいてあった。
桑の枝は、梅の枝同様、まっすぐなのでチャンバラごっこに最適だった。
わたしはちかくにあった鎌で枝先を尖らせ、刀 (正確には槍) をつくろうと思った。
5、6歳だったわたしの手は小さく、鎌は大人用だから当然大きく、
ちいさい左手で桑をつかみ、右手で大きな鎌をもって枝先を削るのだが、
桑の生皮がつっかかったり、すべったりしているうちに、
鎌の刃が左手の親指の付け根のところにグサリいってしまった。
涙で傷口がどうなっているのか見えなかったが、親指が取れたかと思った。
泣きながらお袋を呼んだと思うが、お袋よりも先に、親父がすごい形相ですっとんできて、
「こォの忙しいのに、なにやってんだァ!」 と思いきりゲンコ喰らった。
びっくりした。ケガよりも怒られたことにショックを受けた。
お袋があわてて 「どうしよう、病院行かないと・・・」 とかなんとか言ったが、
「んなヒマなんかねぇ!早くウチ行って手当てしてこぉ!」 という親父の一言で、
病院に連れられることもなく、赤チンかなにかと包帯で済まされた。
(あとあと化膿した傷口にガーゼがめり込んで固まったまま取れない状態が長い間つづき、
結局病院へいって切り離した)
幼いわたしは、桑の枝でカタナをつくるつもりが、消えないキズをつくってしまったわけだが、
あの時の親指の痛みより、親父にもらったゲンコの痛みがずっと消えずに残ってる。
そんな女子供にやさしくないハードで荒々しい農業で育ったせいで、
ちかごろの農業をとりまく状況 (農業ブーム/ 農業経営者とか若手マルシェ好き農家夫婦とか
農業女子とか補助金でブランド化する農家とか宗教臭い自然農法家とか儲かる農業本とか) に、
まったく馴染めない―― (苦笑)
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Posted in 百姓二揆(ヒャクショー・ニッキ)

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