下仁田ねぎの夏の植え替え時期は、
生活のすべてを 「植え替え」 中心というか優先させるから、(前回記事参照 *1 )
この時期 (夏の例会、今回は7月7日) の 『すきや連』 は、出席するか欠席か毎年悩む。
で、なにかこう、大義名分のようなものが欲しくなるわけだが、*2
今回、すきや連・事務局からFBで届いた開催のお知らせに、
<群馬、八王子、横浜、絹街道はすき焼き街道> という解説が付いていて、*3
読んで即決、「行こう」 と決めた。
(なんたって日帰りできる場所だし!)
八王子自体は、学生の頃、大学が近郊にあったため、何度も訪れていたが、
かつて、「桑都」 と呼ばれ生糸の集積地だったことは初めて知った。
下仁田周辺地域も例の製糸場があったり、養蚕が盛んだったが、
その生糸が八王子経由で横浜に行き、そこから世界に輸出されたとのこと、
まさにシルクつながり。
横浜でのすきや連、「第5回・太田なわのれん」 さん、「第16回・荒井屋」 さんと、*4
2店舗とも出席しているから、やはり八王子も行っておかねば、シルクロードがつながらない、
ということで、7月7日、「桑の都」 こと八王子、「坂福」 さんに行ってきました。
といっても、行ってきてから1週間ほど経っているので、
とりあえず、書いておくべきものは、石垣島の 「石垣島黒毛和牛」。
(なんで沖縄の石垣牛なのか気にはなった)
それと八王子花街の芸者衆。
あかるく元気なもてなしはよかったけれど、
車の運転がありシラフだったから、楽しさ半減。
(やはりホロ酔いでないと)
「釜石浜唄」 のなかの、「ホイーヤホイ」 が妙に気に入った。
あとは、さいきん、積極的な交流ができず、
内向的な感じに終始してしまい、自己嫌悪になる (反省)
八王子駅 (JR北口) を降りて、松屋のある三角な通りを、
30年ぶりくらいに歩いたら、「あー八王子だなぁ・・・」
と感じた。
*1 )2016/7/5 『夏の植え替えの憂鬱』
*2 ) 22013/7/1『しがたがないはなし/第一五回 『すきや連』例会』
2015/10/27 『鷹山公とすき焼き/第22回 すきや連・例会』
*3 ) <群馬、八王子、横浜、絹街道はすき焼き街道>~一部抜粋
八王子が産業都市として発展し始めるのは、幕末から明治維新期です。
日本が開国した後、輸出産業として繊維産業が発展し、
特に生糸・絹織物については市内で産するだけでなく、
遠くは群馬・秩父や山梨・長野からも八王子へ荷が集まり、
この地で纏められて、輸出港である横浜へ送り出されました。
群馬から八王子を経由して横浜へ。
これは明治日本の「絹街道」であり、実は「すき焼き街道」でもあるのです。
平成26年11月の第19回「すきや連」に参加なさった方は、
群馬県下仁田町が蒟蒻の名産地であることを知ったことと思いますが、
現在蒟蒻芋が植えらえている土地には、かつて桑が植えらえていて、
繊維産業が衰退した後に蒟蒻芋に転作したのです。
群馬、八王子、横浜。明治時代に繊維産業に関わった土地に、
すき焼き屋があり、さらに花柳界があるのは偶然ではありません。
下仁田の花柳界はなくなってしまいましたが、八王子には健在で、
すき焼き店「坂福」さんでは芸者衆が呼べます。
3.11の大震災の後なくなってしまった岩手県釜石市の花柳界に伝わっていた
「浜唄」を今は縁あって八王子芸者が継承していると聞きます。
八王子~すき焼き信者が巡礼に訪れるべき土地だと思います。
*4 )
2013/11/14 『すき焼きコンシャス/第16回 「すきや連」 例会』
2010/3/4 『ミミの日と話のミソ』
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