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ゆかしい音色とゆかしき琴の音

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農家になってからというもの、
本がなかなか読めない。
日中、日射しを浴びての仕事は、
思っている以上にくたびれるので、
夜、がんばって本を開いたとしても、
しだいにめくる頁が重くなり、ついでに瞼も重くなり、
読んだような読んでないような感覚になって
ページを行ったり来たりしているうちに、
本も重くなって、読書タイム終了。
そんな感じなので、超遅読、
本一冊読破したときの達成感というか高揚は、
年に数回しか味わえない。
ということで、「いちまき」 という本を *1 、
未だチビリチビリ読んでいるのだが、
先日、トある言葉に遭遇してハッとした。
その文章、
「辛苦と快楽と」 とか 「政党論」 とか、私なんぞには歯が立たない漢文調の硬い論文が続く中で、
私が 「おやっ?!珍しく柔らかく読みやすい文章じゃないの」 と思ったのは 「ゆかしき琴の音」
と題された一編だ。(94頁)
そのなかのハッとした言葉は、
「ゆかしき琴の音」 。
わたしは、以前、似た言葉を古い本のなかで見つけ、
ひどく惚れてしまった過去がある。
このブログの初期のころにも書き出したけど *2 、
その言葉があった本、中野正剛の書いた *3
『敬天愛人』 についての文章をふたたび書き出すと、
敬天愛人とは何と情趣ある文字ではありませんか。
深き人間性の根抵を把握したる者でなければ、到底こんな文句は浮かんで来ないのであります。
       ~中略~  
南洲翁 (西郷隆盛) は忠誠無類の人でありました。また愛国的情熱家でありました。
しかしながらその一身を挺して忠君愛国の大任に当たるべき自己の修養は、
奥深い人間性に尋ね入っているので、そこに敬天愛人というゆかしい音色が出て来るのであります。
ゆかしい音色――。
日常、「ゆかしい」 なんて言葉は、なかなかお目にかかることもないし、
耳にもほとんど入ってこないから、めずらしさというか新鮮に感じたし、
趣味でDJ したり、広くマニアックに音楽を聞いていたので、
「音」 に対しての 「ゆかしい」 という言葉づかいに、
妙にグッときてしまった。 (音の響きも素敵)
だから、「いちまき」 という本のなかで、
「ゆかしき琴の音」 という言葉を見つけ、ちょっとびっくりしたのだった。
さらにさらに、「いちまき」 の著者は、中野翠、
つまり、「ゆかしき琴の音」 は中野翠の本から、
「ゆかしい音色」 は中野正剛の本から、
同じ中野姓の本から出てきたことに、
たまたまだろうが、なんとも不思議な気持ちになった。
とここまで書いて、思った。(というか書き疲れた)
こんな感じで、いちいちつかえているから、完読しないんだな・・・。
それに、本をあんまり読んでない=インプットしていないから、
アウトプットできない=ブログがあんまり書けない、のかな・・・、
とも思ったが、やはり疲労の蓄積によるものが大きい気がする。
 *1 ) 2015/10/7  『いちまき』
  2016/1/11  『下仁田赴任地』
 *2 ) 2007/11/13 『西郷どん な。 ~せごどんは、よかにせ。』
*3 ) 「人間 中野正剛」
 「日本陽明学 奇蹟の系譜」 という本でその存在を知り、読んでみた。
  
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Posted in 百姓二揆(ヒャクショー・ニッキ)

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