フェルナンド・ペソアというポルトガルの詩人を、
たまたま読んでいた本のなかで知った。
知ってしまうと、ちょこちょこ目にしてしまうものなのか、
その後、たまにのぞくサイトに出ていたり・・・。
●ランダム・ライブラリー/
第一回フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』 八巻美恵 (2015.01.06)
ペソアという人は、海外で育ち、無気力が蔓延していたポルトガルの現状を
変えたいと模索した啓蒙主義者でもあったということだ。
そして、死後、トランクいっぱいの膨大な遺稿が発見され、
脚光を浴びるようになったそうな。
この2点に興味がそそられた。
で、
掲載されている詩をひとつ抜粋してみる。
こうして自然に年を取り
同じ声と同じ感覚で話すだろう
そしていつかその日がやってきても
もう話すことは何もない
なにものでもなく 何も言わない
う~む・・・・。
なにがいいたいのか・・・、
というか、いいたくないのか・・・・。
わかりそうで、さっぱりわからない・・・(苦笑)
おまけで、もうひとつ。
(ネットに上がっていたもの)
生きるとは別人になるということだ。
もしも今日、昨日感じたように感じるなら、
感じることすらできないということだ。
昨日と同じことを今日感じるなら、
それは感じるのではない──昨日感じたことを今日思い出すのであり、
昨日命を失った者が今日生きた死体になるということだ。
そうゆうことだ。
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