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SFで脳内をひろげる

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ずいぶん前、テレビをつけたら、女性のコンシェルジュが、
トラブルに見舞われた外国人のお客相手に、これ以上ないというくらい
適切で極上の対応していて、おもわず最後まで見入ってしまった。
相手の表情や状況を読んで、心配顔を笑顔に変える
驚嘆のトーク・スキル。
なんでも、活字中毒というくらい日ごろミステリー・推理小説を愛読していて、
会話や読み解く力を養っている、と女性は言っていたが、
わたしもちょうどそのとき、SF小説を読みたいというか、
読む必要性があると感じていた。
べつに、大のSF小説ファンというわけではなく、
発想力を高め広げるのに、SF小説が適していると思ったからだ。
田舎で暮らしていると、首をかしげてしまうような、
ありきたりで手垢のついたような発想のものが実に多く、
すこし前、どうしてこんな内向きの自己満足のような発想しかできないのか、
と感じた地域のことが2つ続いたこともあって、それで、危機感というか防御というか、
SF小説でも読んでもっと発想力を高めておきたいと思ったわけだ。
すぐさまネットで調べて未読のSF古典を数冊ピックアップし、
東京に出たとき本屋へ行って、実際手に取り、厚さを確認し、
出だしを読んで一気に読めそうに思えた、*1
レイ・ブラッドベリの「華氏451度」にした。
で、このブログで以前、記事にした温泉で読書してきたのだった。*2
ま、一冊程度読んだところでどうなるわけでもないが、
それでも、文中の一節を借りて言ってみれば、
 ~いまは、なんでも見てみたい。見たものがおれのなかにはいるときには、
 そいつはまるでおれじゃないが、しばらくたって、はいったものがおれのなかでひとつにまとまると、
 それはおれになる。 ~ p269
とあるように、脳内がいくぶんか広がるタシになったような気はする。
ついでに、文中の一節をもうひとつ。
 ~ただ芝を刈るだけの人間と、庭師とのちがいは、ものにどうふれるかのちがいだ。
 芝を刈るだけの人間はそこにいないも同然だが、庭師は終生、そこに存在する。~p261
*1 ) 出だし/ 
 火を燃やすのは愉しかった。ものが火に食われ、黒ずんで、
 別のなにかに変わってゆくのを見るのは格別の快感だった。
*2 )2015/2/10 「よんまん」 でなく 「しま」 で、のんびり
【参考記事】
2007/5/26 「カート・ヴォネガット 1922-2007」
2008/2/6 『星を継ぐもの』
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Posted in キオクのキロク

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