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力につぶされる下仁田葱の日~失意の泣きべそ編

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 それにしてもケッサクなのは、
 11/23日、わたしが「すきや連」の産地食材ツアーで下仁田を案内PRしていたときに、
 町では、わたしが2年程前、12月1日に登録・認定してもらった「下仁田葱の日」 *1 を
 チカラづくで潰そうと、たとえヒトマネであっても数がそろえば正義といわんばかりに、
 23日を「下仁田葱の日」に制定、記念イベントをやっていたことだ。 *2
 
 なぜそんなヒトマネの嫌がらせのようなことをするのかといえば、
 「下仁田ネギ」という公のものを個人で登録するとは何事か!
 ということらしい。*3
 
 しかし、わたしはべつに個人登録にこだわっているわけではないし、
 「下仁田葱の日」 を個人で独占、というつもりもサラサラない。
 
 わたしは、2年前、「すきや連」の「すき焼き通の日」 をヒントに、
 下仁田葱の会の出荷解禁日である12月1日を「下仁田葱の日」にしたら、
 と考えた。*4
 
 それで、父を通して、会や町に伝えてもらった。
 「おーっ、いいね!」 「よく考えたッ」 「これは是非、町の方で・・」
 なんてリアクションが来るのかと思っていたら、
 「下仁田ネギ」という公のものを個人で登録するとは何事か!
 と怒られた次第である。
 
 わたしは、’06年に帰農して以来、
 地域の下仁田葱に対するPRの仕方、ブランド力の向上努力、危機感の無さなど、
 不満を感じていたから、ならばと、自らいろいろなところで下仁田ねぎをPRをしてきた。
 
 その延長で、自分で日本記念日協会に申請した、
 といえば聞こえがいいかも知れないが、実際は、
 すこしくらい発案者への敬意、というより、せめて配慮がほしかったのに、
 ないがしろにされ、憤りを感じて申請した。
 
 一応、わたしなりに筋を通すため、町長宛てに登録されたことをメール でお知らせした。
 
 以後、2年間、12月1日には、道の駅「しもにた」で、
 下仁田ねぎをお客さんにプレゼントし、ひとりで「下仁田葱の日」をPRした。
 (葱の会は怒って協力は一切しないと通告された)
 
 農繁期にひとりで毎年、「下仁田葱の日」をPRするのは疲れてしまって、
 今年はもう、町の方で「下仁田葱の日」を利用してくれないかなーと思っていた矢先に、
 例の、上毛新聞ニュースを知り *2、愕然とした――。
 
 ・・・つづく。
 (その後の行動、新たな展開・挑戦まで、多忙と疲労で一気に書けなかった・・。
  念のため書いておきますが、町や関係者批判という主旨のものではありませんので)
 
  *1) 2009/12/1 『‐ 下仁田葱の日 ‐』
 http://blogs.yahoo.co.jp/yesornouca/57202660.html
 
  *2) 2011年11月24日上毛新聞ニュース
 http://www.jomo-news.co.jp/news/a/2011/11/24/news09.htm
 
 *3) 2009/11/24 『味方に敵あり 』
 http://blogs.yahoo.co.jp/yesornouca/57061911.html
 
 *4) 2009/11/9 『下仁田葱の日』 誕生のお知らせ
 http://blogs.yahoo.co.jp/yesornouca/56743119.html
 
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Posted in 百姓二揆(ヒャクショー・ニッキ)

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