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8割の沈黙と座礁

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  よく言われることであるが、実際に、アメリカでは沈黙は金でも美徳でも何でもない。
  意味するものはただ一つ、“無能” である。
  アメリカの大学を学ぶ上では、わからないことは時間をおかずに即座に明確にしようとする態度、
  わかったことや自分のアイディアはつまらないことでもすぐに教授や友達に披露するあつかましさが
  大切であると感じた。
                 ~ 『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』 P71./辻野晃一郎
 
 
 このところ、思うことなどあって沈黙の沈没気味だったから、
 昨晩、この部分を読んで、せっかくの人生、無能で終わったらもったいないな、
 と尻を叩かれた気分になった。
 田舎は無能ではなく、沈黙しているだけなのだ。
 と、あえて皮肉を言いたい気持ちもこころの隅にあるが、
 先日、雨の中、道路脇のポイ捨てゴミを自社のトラックで拾っていた地元建設会社のアクションを思いだし、
 地域にも、“無能” でない人間がいることに希望が湧いた。
 
 同じ本のプロローグから、もう1箇所、抜粋してみる。
 
  金融業界にいる友人から面白い話を聞いた。
  彼の知り合いの金融外資幹部の外国人が言うには、日本人はバッファローの群れなのだそうだ。
  敵が近づいて来たことを察した一頭が走りだしても、群れ全体は全く動かない。
  しかし、その一頭に気づいた他の一頭が後を追い、またその一頭に気づいた他の一頭が後を追う。
  これを繰り返し、全体の約2割が追走し始めると、残りの8割が一気に同じ方向に走り出す。
  (中略)
  我々は全体が走りだすまでには時間がかかるかもしれないが、
  一旦走り出したらすさまじい爆発力を秘めた国民であるとも言え、
  それは明治維新や戦後の経済復興で証明されたことでもある。
  しかし、そのためには誰かが走りださなければならないのだ。
  一部の人達が本気で走り始めない限りは何も変わらない。
  変化の時代には新しいことにチャレンジするしかない。
 
                                             ~プロローグ P16.
 
 以前、地元の友人から、「そんなにあわててどうするん?」
 とよくいわれたが、8割の中にいられない人間は、沈黙していたら沈没してしまう。
 
 息切れ気味だが、
 誰かが走りださなければならないのなら、まだまだ走らなければならない。
 
 ――と、朝、気持ちを焚きつけて書いたが、
 その後、わたしと親父との冷え切った関係に気をもんでいたお袋が、
 コミュニケーションの場を設けたのだが、これが逆効果。
 
 親父の除草剤の件をきっかけに、わたしは日ごろの不満を爆発させてしまい、
 例によって、なにも改善・解決することのないまま、
 せっかく朝、気持ちを沈没させることなく仕事ができると思ったのに、
 別の部分で座礁してしまった。
 
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Posted in キオクのキロク

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