一年前のきょう――、わたしは山の上の畑でひとりで下仁田ねぎの中耕作業していたところ、耕運機のロータリー部分 (刃が回転している部分) にパンツのスソが巻きこまれ、左脚の脹脛に刃が突き刺さって自分では抜けなくなってしまった。
さいわい、携帯電話があったのでそれで家に電話し、大至急、救急車を呼んでもらった。
(直接119番しなかったのは、畑の場所が奥まっていてうまく説明できそうになかったので、まずは家に電話し、現場の畑まで誘導してもらうのが手っ取り早いと考えた)
がしかし、この待っている時間が非常に長く、なんとか気持ちを落ち着かせようとして、本ブログ用に写真を撮ってみたり、(上・画像。あえて見えづらく加工しています) 血の臭いをかぎつけてきたヤブ蚊を捕ってみたりしたが、気があせり、家に「救急車まだァ?」と催促の電話を2度いれてしまった。
救急車やパトカーがあわただしくやってきたころには、自分ひとりだった山の上の畑まわりには、たくさんヒトがいた。頭上にはなんとヘリコプターまでが旋回していた。
救助のヒトは、懸命に脚に刺さっている刃を耕運機から取りはずそうとするのだが、なかなかはずれない。
おれは耕運機と一緒に病院に搬送されるのか・・・、と思っていたところ、脚が耕運機からはずれ自由になった。
大きく安堵した。
結局、刃だけ脚に突き刺さったまま担架で救急車に運ばれ、救急車から、ちかくの小学校の校庭で待機していたドクターヘリに乗せられたのだが、どこで聞きつけたのか野次馬がウジャウジャいて、閉口した。
あとは、去年、だいたいブログで書いた通り。(2009/8/28以降~のブログ参照)
2009/8/28 初救急車&初ドクターヘリコプター
http://blogs.yahoo.co.jp/yesornouca/55058699.html
http://blogs.yahoo.co.jp/yesornouca/55058699.html
◇
ちょっとまえ、農薬散布用のラジコン・ヘリコプターが操作ミスかなにかで、ちかくで農作業をしていた男性の脚に激突し、男性は出血多量で死亡した、というようなニュースがあった。
また、救助ヘリの墜落のニュースも立て続けにあった。
わたしの場合、たまたま動脈を避けて突き刺さった。わたしの乗ったドクターヘリだって落っこちる可能性もあったわけだ。
人間、似たようなことでも、生きるヒトと命を落とすヒトと出てくる。
わたしが助かって、他のヒトが死んでしまう理由とは何なのか?
わたしはなぜ生きているのか・・・。
わたしが助かって、他のヒトが死んでしまう理由とは何なのか?
わたしはなぜ生きているのか・・・。
わかいころ、普通なら死んでしまってるような大病を経験して以来、死生観が大きく変わった。
(助かった者の一方的な考えであることは承知しているが、)
人間の生死の境には運だけでは割りきれない 別のなにかがあるように思える。
人間の生死の境には運だけでは割りきれない 別のなにかがあるように思える。
去年のきょうの出来事なども、天によって生かされた気がしてならない、といったら、大げさだろうか――。
※ きのう (26日) 書いて、途中でダウンしてしまったので、文中の 「きょう」 は “きのう” です。
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