先日、画像の講演にいったとき、
講師の相澤さんはこう云った。
講師の相澤さんはこう云った。
「作業とはやらされること。仕事というのは、自らがやること」
◇
’06の春に帰農して以来、
わたしは、このブログやHPで、“仕事” を “作業” と記してきた。
わたしは、このブログやHPで、“仕事” を “作業” と記してきた。
なんで? と思う輩がいるかもしれないし、
自分でも、なんで? “作業” という言葉をチョイスしたのか、
考えてみた。
自分でも、なんで? “作業” という言葉をチョイスしたのか、
考えてみた。
その1;
農業ということで、作業には “農” がつくわけだが、
その “作業” を “仕事” に変えてみる。
その “作業” を “仕事” に変えてみる。
農作業 → 野良仕事
農作業 → 畑仕事
農作業 → 畑仕事
言葉のイメージ感でおわかりの通り、
“仕事” の方だと スケールがでないのだ。
“仕事” の方だと スケールがでないのだ。
わたしは農業に、ワーク的なものより、ビジネス的なものを匂わせたいがため、
“作業” という言葉をチョイスしたのだと思う、たぶん。
“作業” という言葉をチョイスしたのだと思う、たぶん。
その2;
ハッキリいってわたしは、作ることより売る方のが好きだ。
その上、高齢の親父も働くしか能がないくらい元気だから、
農作業はいまだ親父主導だ。
農作業はいまだ親父主導だ。
ということで、やっぱり、
相澤さんの云った通り、やらされ感がなくはない。
相澤さんの云った通り、やらされ感がなくはない。
(そのかわり、売り仕事は親父に口をはさませない)
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