メニュー 閉じる

間抜けな馬抜けの話。

イメージ 1
 
 それを見たとき、
 「え?」 と思った。
 
 「なんで?」
 意味がわかんなかった。
 
 東京帰りは毎度、寝不足になるので、
 夢でも見ているのかと、
 半分本気で居眠り運転しているのかと、思った。
 
 “馬” があったのだ・・・。
 
 前回の記事で、
 (群馬ナンバーはなぜか 『群馬』 ではなく、『群』 の一文字なのです)
 と書いたが、
 きのう、東京の帰りに何気に対向車のナンバープレート見たら、
 『群』 の一文字ではなく、どの車も 『群馬』 の二文字だったのだ――。
 
 いつ頃から、 『群馬』 の二文字になったのか知らないが、
 わたしの頭の中では、ずぅーと、群馬は 「群れナンバー」  “群” 一文字 という認識があり、
 その認識ゆえに、この群馬にUターンした4年間、“馬” が見えなかったのだ。
 
 わたしは、“馬” があったことにビックリし、
 さらに、“馬” が見えていなかった事実にビックリした。
 
 馬抜けの間抜けの話で、
 そんなことってあるの?
 と思うヒトもいるかも知れないので、
 
 わたしの大好きなホンダの創業者・本田宗一郎の
 「牛の角」の話 (ネットからのコピペですが) を引用して、
 説明いたします。
 
  ~
 
  本田の講演録をみると多く出てくる話に “牛の角” の話がある。
 
  彼はある農村の青年の集まりに呼ばれたときに、
  青年たちから 「アイデアはどういうときに生まれるのか」 と質問を受け、
  「牛の角はどこについているのか」 と聞き返した。
 
  頭についているのに違いないが、どこどこですと正確に言い表すことは難しくて、
  農家育ちの青年たちでも返答に詰まってしまう。
 
  そのとき本田は次のように尋ねたそうである。
 
  「同じことを知人の画家に尋ねたことがある。画家は即座に 『そりゃ耳の上だ』 と答えた。
 
  このことは何を意味するのかといえば、
  人間、普段自分に関係がないと思っているものに対しては正確な見方をしていない。
 
  画家は正しく見ており、農村の青年は普段そんなものには興味がない。
 
  自分に関係がないと思って何かを見ていても、絶対にアイデアは生まれてこない。
 
  何ごとに対しても興味をもつことがアイデアを生む第一歩である」
 
  ~
 
 まあ、つまりは、
 目を開けてものを見ているようで、案外、見ていないことが多い、
 ってことなのです。
 
 
.
Posted in 心中のつぶやき

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です