.
~
柳川 (福岡県) はかつてはきれいな水郷地帯でしたが、生活排水を中心に汚れ始め、
さらに心ない人が川をゴミ捨て場としたことから、川は見るも無残な姿になったのです。
これに対して市役所は、この惨状を打破するために、川を暗渠 *1 にしようとしたのです。
そのとき、市役所の職員であった広松伝氏が、ひとり、川に入って、来る日も来る日も
川の掃除を始めたのです。
すると、やがて柳川の人々が彼と共に川に入って掃除を始めました。
この結果、柳川の川は元に戻り、水のきれいな水郷の街が復活したのです。
これと対照的に、水俣 (熊本県) では 「水俣病」 が問題になり始めていました。
水俣湾はヘドロに覆い尽くされ、有機水銀が魚や貝を経由して人体に入り、
「水俣病」 を作ったのです。
多くの人々が病に苦しむと共に、会社は倒産して、水俣は衰退してしまいました。
当時の技術者はこの危険性を知っていたのですが、自らの立場を考えて、
会社に訴えることをしなかったのです。
「わたしが何かしたところで・・・」 という考えでした。
確かに、水俣病と工場排水との因果関係に関して、当時は確たるものがなかった
とされていたのですが、それに対して自らがそれを動かそうとしなかったのが
「水俣」 でした。
これが大きな社会運動となり、公害問題に大きなきっかけを与えたのですが、
同時に、あまりにも大きな悲劇を生んだのです。
ここでの両者の問題は、出発点の違いだけです。
柳川が水郷を取り戻したのは、一人も市役所の職員が川の掃除を始めたからでした。
水俣で多くの死者や病苦者を出し、会社を倒産させ、町を衰退させたのは、
知っていた技術者が会社に報告しなかったことです。
一人の勇気が社会を変えたのであり、一人が勇気を出さなかったことが、
社会を最悪の方向に持っていったのです。
~
【格物致知 (かくぶつちち) 】~ 物を格 (ただ) して良知 (りょうち) を致す。
*1 暗渠 (あんきょ) ;地下に埋設したり、ふたをかけたりした水路。
~『桜の下の陽明学/吉田和男』 より抜粋
_ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _
――本日、例の火事騒動 *2 で警察に出頭し、
調書・写真・指紋をとられ、しっかり犯罪人となってしまいました。
が、
自分のなかの火はまだまだ消えていないので、
自分にできることを、自分しかできないことを、
自分ひとりでも実践していこうと思います。
*2 6/27日、本ブログ参照。
『お詫び申しあげます。 』http://blogs.yahoo.co.jp/yesornouca/53489521.html
.