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農家といえば、
晴耕雨読の牧歌的なイメージ があります。
わたしも渋谷にいたころ、
下仁田に戻って農業を生業にしたら、
いままで忙しくて読みきれなかった本をしこたま読んでやろう、
と思っていたクチでした。
で、
実際、戻って農業をやってみたならば、
すこしくらいの雨ならトーゼン作業だし、
夜なんぞは、体が疲れてすぎて、本を読む気にならない。
それでも、
このブログでアウトプットしている以上、
インプットもしなけりゃあカラッポになってしまう。
ってことで、
一応、寝るまえに本を開くのですが、
意志に反して肉体がグロッキー状態なので、
半ページ~5ページ読むのがやっとのありさまで・・・。
おまけに、
飽きっぽいので、
枕もとには 読みかけの本を3、4冊置いて、
そのときの気分で、本をチョイスし、
とっかえひっかえ、ちびちび読んでいる次第です。
本日は、(雨だし・・) そんななかから、
気に入ったくだりを2箇所ひっこぬいてみます。
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動物園というのは、ある囲い込まれた空間に何種類かの動物を陳列し、
入場料をとって人々にそれを見せる、というだけの商売である。
しかも、サーカスの動物たちは芸をするが、動物園の動物たちは檻の中で
ただじっとしているだけなのだ。
にもかかわらず、なぜ人々は入場料を払うことを承諾するのか、
かねてよりサーカスの関係者たちは疑問に思っていた。
論理的に考えて、確かにその点は奇妙である。
芸をするサーカスの動物たちに、その報酬として金を払うのであれば、
何もしない動物園の動物たちには、むしろ罰を与えるべきであろう。
つまり、動物園側が入場者に金を払うべきなのである。
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【別役実/当世・商売往来~P176、177】
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明日の朝、太陽さんがスーッと昇ったら、太陽さんも私と同じ一気だと太陽さんに合掌する。
事実、私たちは潮が満ちるときに生まれて、潮が引くときに死ぬそうです。
今でもお医者さんは、自然に逝く場合、「潮の引きは何時だ?」とお聞きになるそうです。
「明日の午前五時半です」と看護婦さんが答える。
「その頃だな」というと、ちゃんとその生命も引いていくそうです。
あの潮の満ち引きのエネルギーは、何と太陽エネルギーだったのです。
私たちは太陽エネルギーによって生まれ、太陽エネルギーによって引いていく。
まさに一気で生き、そして死ぬわけだ。
王陽明というのはそういうところへ人生という基本を持っていくのです。
人間社会の是非善悪でこせこせしない、宇宙大のでかい生き方を提唱するわけです。
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【境野勝悟/陽明学と禅のこころ~P215】
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前者は発想がステキで、後者は最後の一行がグッときました。
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