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画像は、司馬遼太郎/「峠」 です。
この本は、ホンダの初代副社長・藤沢武夫氏の愛読書ということで、知りました。
この本で、河井継之助という人物を知りました。
この本がきっかけで、陽明学を知り、陽明学に関する本、数十冊をむさぼり読みました。
今では、陽明学がわたしの精神的支柱となっています。
左の上巻のほうが傷んでいるのは、上巻のほうが好きだからです。
いつもカバーを取って持ち歩いていたので、中はもっとボロボロです。
◇
先日、わたしは下仁田町のまちづくり推進委員を2ヶ月で辞任しました。
この小説のなかの河井継之助も、藩の役職に抜擢されますが、ほどなく辞任します。
べつに、敬慕するあまり見習ったというわけではありませんが、
頭のどこかで意識はあったと思います。
で、東京を離れて以来、ひさしぶりにこの小説に手をのばしました。
せっかくなので、昔つけたブックマークのところでも書き出してみます。
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「ただ、現実の問題としてどうか」
「そこがまちがいです」
継之助は、重役たちに物の考え方というものを説いた。
「物事をおこなう場合、十人のうち十人ともそれがいいという答えが出たら、
断乎 (だんこ) そうすべきです。ちなみに、どの物事でもそこに常に無数の
夾雑物 (きょうざつぶつ) がある。失敗者というものはみなその夾雑物を過大に見、
夾雑物に手をとられ足をとられ、心まで奪われてついになすべきことをせず、
脇道に逸 (そ) れ、みすみす失落の淵におちてしまう。大公儀に気がねなど
していてはついにわが長岡藩もそうなるでありましょう」
「物事はそのほうの言うように簡単にはいかぬ。世間は単純ではない」
「そこさ」
と、継之助はおどした。
「そこが失敗者の考え方でござるよ」
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「峠・上巻、P367~P368」
もうひとつ、
~
「愚考いたしますに、人というものが世にあるうち、もっとも大事なのは
出処進退という四つでございます。そのうち、進むと出 (い) ずるは
上の人の助けを要さなければならないが、処 (お) ると退くは、
人の力を借らずともよく、自分でできるもの。拙者がいま大役を
ことわったのは退いて野に処る、ということで、みずから決すべきことでござる。
それをそのようにふるまって帰ったまでのこと、天地に恥ずるところはございませぬ」
~
「峠・上巻、P104~P105」
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