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おれは
人体解剖図を見るように、世界を
見ているブルジョワのペシミストやオプティミストの
茹で卵の「魂」を、その「ささやき」を、その「ニュアンス」のゼリーを
踏みつぶした。おれの
未来には、麦の芽が伸びていた。土のなかで、
湿った根が微かにうごいていた。地上で
鎌の刃が秋の落日にキラキラ光った。おれの未来には、冬の
凍えて、固まった土が、乾いた咽喉のように
春のこまかい雨を
待っていた。おれの
一年は、おれの「永遠」であり、おれの
収穫は、おれの種子であった。
北村太郎/地の人(1951)より抜粋
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