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西上州とよばれる下仁田周辺の山のなかで、
意外と人気なのが、“物語山” です。
その物語山のものがたりとは・・・、
伝説・その1
むかしむかし、時は 戦国時代の末期、
かの豊臣秀吉が 全国制覇しようと、北条氏の小田原城を攻めていた頃、
この地に 幽崖 (ゆうがい) 城とよばれる城がありました。
城主は、多目 周防守 長定 (ため すおうのかみ ながさだ) という
北条方の武将だったので、戦国という ご時世、当然、
幽崖城も 豊臣方の攻撃を受けたのでした。
多目側は 奮戦しましたが、多勢に無勢、城は火攻めにあい、
結局、わずかな手兵とともに逃げだしました。
が、逃げても逃げても 豊臣側の追っ手はすさまじく、
ついには、この物語山の山中まで逃げ込み、
山頂付近にマナ板のようにそびえ立っている岩壁 (メンベ岩) を見つけ、
あの頂上なら敵も来るまい と、藤ツルを頼みの綱によじ登ったのでした。
なんとか無事登り終えた一行は、ひと安心する間もなく、
敵の追撃を恐れるあまり、追っ手が登って来れぬよう、
藤ツルを切り落としてしまいました。
そこでやっと安堵して、倒れこむように眠りに落ちました。
で、
翌朝、目をさまし、ハッとしました。
ありゃ、降りれないじゃん・・・。
水も食料もない 孤立した岩峰で野たれ死ぬより、かくなる上は――、
と、小田原城の方をむいて、いさぎよく腹を切ったのでした。
今でも、多目と家来の鎧・兜・刀などが、
風雨にさらされながら 岩上に残されているということです。
とまあ、物語山なんてロマンチックなひびきとはウラハラの、
悲壮感ただよう、気分の沈んでゆく物語ですが、
実はこれだけではないんです。
隠された言い伝えが、もうひとつあるんです。
伝説・その2
城が戦で陥落するさい、城を守る兵が 財宝を城から持ちだし、
藤ツルをつかってメンベ岩に登り、財宝を埋蔵したのち、
城の復興を願いながら、その命を絶ち果てた、ということです。
「霞ヶ関の埋蔵金」 は、小ズルイ官僚くんたちに、うまく包み隠されて、
彼らの贅沢となって消えていきますが、
メンベ岩に眠る財宝は、長年の風雨により、
案外オテントサンのもとに 顔をのぞかせているかも知れません。
どうですか? すこしは食指が動きました?
というか、一攫千金をねらう冒険ずきのアナタ!
この夏あたり、下仁田を冒険してみませんか?
あっ書き忘れるところでしたが、「伝説・その2」の話には、つづきがありました。
財宝を目当てにメンベ岩を登る者は 必ず墜死の憂き目に合う、
と言われています。
※画像は、物語山・西峰とメンベ岩。
ちなみに、物語山の登山ルートはその山頂と西峰までで、メンベ岩には行けません。
例によって、『下仁田ファーム』 HP に拡大画像、及び 別画像を貼ってあります。
興味あるかたは、ご覧下さい。
http://www.shimonitafarm.com/fukei.htm
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