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たとえば、「ハァイ、カットォ!」 とか、
映画の撮影みたいに 景気のいい掛け声がかかれば、
「フゥーッ、終わった・・・」 と ひと息つけ、
重圧から解放された感 を味わえるのですが、
そんな区切りの声は、いっこうに聞こえてきません。
(TVの、ドキュメンタリー番組の撮影だからでしょうか、
カメラはずいぶん長く回っています)
だから、こちらがシビレをきらし、「まだかなぁ・・・」 とチラリ見たりすると、
サメの眼ようなカメラのレンズと、思わず目が合ってしまいます。
◇
「それでは、○○さん (わたしの名) が、デジカメで撮っているところを撮りま~す」
(注: わたしが、HPやブログに載せる写真を撮っているシーンの撮影)
と、ディレクターさんの声がかかりました。
普段どおり(デジカメで)撮ってくれ、といわれても、
TV撮影自体、すでに普段とはちがうので、なかなか撮りにくい。
とりあえず時間も押していたので、
こんにゃく芋を ぱらぱら撮ってみたのですが、どーもシックリこない。
というより、我ながら、とってつけたような写真撮影で、ヒネリがない。
わたしは、すこし頭をひねって、
こんにゃくのカラ (植物の部分) と 芋 をカップリングしてみました。
(10/25付のブログ画像参照)
ディレクターさんは、「おっ、いいじゃないですか!」 って云ってくれましたが、
どーも “もひとつ” 感は否めない。
なんというか、自分のなかに残尿感?
残尿感じゃないな、拭いきれない “やっつけ仕事” 感が残っているのです。
わたしは、もうひとヒネリ考えました。
で、
「帽子を使ったサイズ比較写真だな」
◇
まぁ、ハッキリいって上・写真なワケですが、
写真そのものは 大してヒネリのない写真です。
問題は写真ではなく、写真を撮っているわたしの後姿の映像 なワケです。
想像してみてください。
ただ単に、デジカメでパシャパシャ撮っている “わたし” の映像より、
こんにゃく芋の前で すこし思案している “わたし” が、
かぶっていたキャップをヒョイととって、
それを こんにゃく芋の上に ちょこんとのっけ、
デジカメでパシャリ!
といった映像のほうが、完成度が高いというか、絵づら的にいいでしょう。
わたしは、「どうです、GOOD JOBでしょ!」
とばかりに、チラリ、カメラのほうをふり返りました。
・・・・・・・・・・・・。
カメラさんたちは、夕日なんぞ撮っていたのでした・・・・・・。
「夕日、きれいですね~」 とかいいながら。
「撮ってねーのかよォ、おれのGOOD JOB・・・」
こころでそっとツッコミました・・・・・・。
下・画像: わたしがトラクタでミスって、キズ物になった こんにゃく芋を
お宝みたく執拗に撮る、イジワル (笑) なカメラさん。
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