あえて狭い路地に迷いこんでいく。
ひしめく建物のあいだにある、
逃げ道のような空間に入りこんでいく。
記憶にない、以前に通ったことのない道をえらんで、
自転車を走らせる。
建物からあふれる電気の光と、よわよわしい庭木の下のうすい闇をくぐり、
また別の小道に出る。
外灯がしょんぼり照らす、知らない道。見知らぬ人。
孤独な靴音と、どこからか聞こえてくる犬の吠える音。
枯葉が転がる乾いた音。
うす汚れた夜空のむこうには、いばった感じのビルの群れが、
ぼんやりと浮かんで見える。
時計の針は、すでに八時をまわっている。
仕事先から家まで電車にしたら六駅分、
自転車でちょっと急いで半時間の距離に一時間以上かけている。
溺れることのできない、漂流者のように彷徨っている。
無邪気に言えば、都会のまんまん中で
行方不明になる感覚を楽しんでいるのだが、
その裏にはもちろん、フッと、消えて無くなってしまいたい気分がひそんでいる。
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ホンダの創業者・本田宗一郎は、終戦後すぐに自分の会社を売っぱらって、
1年間、なにもしないで(仕事をしないで)すごしました。
それは、これからどうなるのか、見極め、どうするか、考えるためでした。
わたしも、それにあやかって、会社を休眠させて一年間何もせず、考えてみようと思いました。
しかし、手持ちぶさた感というか、このまま沈没しかねない空気に耐えきれず、
3ヶ月目には、友人の会社に週3日、気晴らしもかねてお手伝いしに行くようになりました。
冒頭の文は、その帰りの道すがらを、小説チックに当時書いたものです。
――で、
その当時の癖が、いまだ抜けきれず、ときおり、まいっているのです。
車を運転してて、いい感じの脇道があると、無性に行ってみたくなるのです。
ところが、わたしがいいなと思う脇道は、街中の道ではなく、
人家もまばらな山あいの道なので、たいがい、行き止まりのドン詰まり、
つまり、バック&切り返しで引き返すハメになるのです。
あるときは、山の中の砂利道で、左側は2,3メートル下が谷川、
ガードレールなんてない車1台分の幅の山道を、ふつうの乗用車で、
バックでよろよろ下っていきました。
(このときは、夕方だったのでなきそうになりました)
またあるときは、山の中腹にある他人さまの庭先で、申し訳なく切り返したりしました。
きのうは、山あい田んぼ道を突っ切って、ゴルフ場のウラあたりの
うすら淋しい場所で、行き止まってしまいました。
ドシャ降りの雨のなか、草むらで切り返したのですが、
なにかビニールにくるまった死体がゴロンとしてそうな
怪しい雰囲気のところだったので、逃げるように引き返しました。
はたから見たら、さぞかし、わたしのほうが怪しさ満点だろうなあ、
と思いつつも、この癖は、止まりそうにありません。