上映は11:10~、 時計は11:05――
う~む・・・・・・。
在京の末期、おそらく映画館で映画をみるのは、これが最後になるんだろうなぁ、
と思いながら観たのが、アカデミー作品賞をとった『クラッシュ』でした。
トーキョーライフの 〆にふさわしく、(ハリウッド臭、少なめの)すばらしい映画でした。
あれから、1年と3ヶ月たち、わたしは 何故かまた映画館の前にいました。
〈 チィッ、早く着きすぎた・・・ 〉
時計は10:40分。上映までは、あと30分。
この30分の時間が、ふたたび わたしを悩ませました。
今回(2ヶ月ブリ!)の上京に、映画鑑賞の予定など はいってませんでした。
たまたま朝、開いていた本屋にブラリはいって、『松本仁志、大特集』みたいな
本が目にはいって、手にとって、ぱらぱら頁をめくっているうちに、
やっぱり観なくてはならないか――、とフト思ってしまったのです。
『大日本人』がミステリアスだったころは、単純に観てみたかった。
ところが、公開され、内容やら感想みたいなのが露出されるたび、
“どーもちがう感”というか、観たら“残念感”に襲われる気配が、(長年の経験より)
アリアリと感じられて、どーでもいいというか、ナシになったのでした。
わたしは、とりあえず、映画館まで行ってみよう、と思い、本屋を出ました。
――で、映画館のまえで、しばし立ちつくすことになったわけです。
(立ちどまらず、そのままティケット売場に顔をつっこんで、CMでおなじみのセリフ、
「大日本人だよッ」と言って、サッサとはいってしまえばよかったのかも)
わたしは、とりあえず観るかどうか、ブラつきながら決めよう、と映画館から離れました。
なんだか、ふにゃけた優柔不断ヤロウみたいですが、
観たくない気持を“観なければ”、というほうにもっていくには 時間がかかるのです。
お茶でも飲むか、と近くのカフェーをみると、軒先のオープンエアーのところに、
ファッション・イベントのプロデューサー、“Y”さんがコーフィーをすすってました。
わたしは、挨拶もそこそこに、「いやぁ、観るかどうか迷ってまして」というと、
“Y”さんは、そのビッグな体とは反対に、軽~く 「観るしかないっしょ!」 といいました。
気持のなかでは、たぶん観ることになるんだろうなァ、
と思いつつも、まだまだ観るモチベイションに至らず、歩きつづけました。
すると、ポケットの携帯電話がぶるぶる震えだしたので、
パッカリあけてみると、昨晩、一緒に飲んだ知人からでした。
わたしは、例によって「いやぁ、観るかどうか迷っちゃって」というと、
大阪出の彼は、「観たらええんちゃうん。ブログにも書けるやんッ」といいました。
渋谷の街に、雨が、予想よりもはやく、ぱらぱら落ちてきました。
わたしは、持参していた“折りたたみ傘”をひろげたのですが、ぶっ壊れていました。
ドンキの店前には、中国製のビニール傘が150円で、せり出ていました。
ちょっと迷いましたが、トラヴェラーなわたしは、折りたたみのほうがいいので買いませんでした。
わたしは、雨粒を避けるように、足早に映画館に戻りました。
――時間は、11:05分でした。
結局、
わたしは、このブログ(5/21分)で、『大日本人』を取りあげてしまった以上、
シッカリ見とどけなければなるまい、という変な責任感に背を押されたのでした。
「大日本人で、」とちいさく窓口に告げました――。
いやぁー、さすがは、松っちゃんでした。
いままで劇場でみた映画のなかで、ダントツ1位の酷さでした。
松ちゃんは、云うでしょう。
「失笑とか、にが笑いとか、そんな中途半端な笑いはいらんねんッ」と。
わたし、自慢じゃあないけど、一個も笑いませんでした。
退屈で死ぬほど眠くなると評判の前半部分だって、
インタビュアの半テンポずれるような具合の悪くなる“間”に、
「遅せーよ!」とツッコミいれながら、なんとか乗りきりました。
寒かったのも、映画の内容じゃあなくて、映画館の冷房のせいだったかもしれません。
タイトルが『大日本人』だけに、細かなことは書きません。
けど、『大日本人』のかんそー書くだけで、2日もかかっちゃいました。
普通じゃなくて苦痛、苦痛なだけに、痛い。
わたしにとっては、そんな感じの映画でした。