“なみだは人間のつくるいちばん小さな海です。”
――『人魚姫/寺山修司』
きょう、(正確には昨晩)古い友人からHPを見た、というメールがきました。
(ここから、ちょっと、ある意味、キモチのわるい話と映るかもしれません。念のため)
わたしを古くから知る友人(男ではなく主婦です、念のため)の、
そのメールには、
~〈わたしの〉ホームページを見て(読んで)、
仕事に対する想いが伝わってきた。
それはもう涙が出そうなほど(決して大げさではありませんよ~)~云々、
と書いてありました。
と、ここまでは、いいんです。ちょっと自慢ぽくもありますが、美しくもありますから。
(彼女とは、あいにく過去に恋愛的な艶っぽいもののないキレイな間柄です。念のため)
で、問題はそのあとなんです。
わたしはその個所を読んだとき、なんだか感動がこみ上げてきて、不覚にも、
もらい泣きしてしまったのです。
(うっすら、涙目程度ですよ。念のため)
わたしとしては、わたしのことで泣いてくれた彼女に対しての涙、
いわば、美しい友情の涙の連鎖だったわけです。
ところが、わたしのなかの自虐的なデビルな部分が、
自己陶酔泣きか? とつっついてくるのです。
美しい友情の涙が、ナルシストの自作自演泣きにすりかわったら、
あまりに悲しすぎるじゃありませんか。
と思いつつも、
まぁ、たしかに、涙のソースはわたしなわけで・・・、
・・・やっぱり、われながら、具合わるくなってきました。
――で、冒頭の言葉です。
涙を涙と思うから、キモチわるくなるわけで、
涙を小さな海と思えば、スッキリ解決ですよ。
彼女は、小さな海をつくり、わたしも、小さな海をつくりました。
安倍ソーリも喜ぶ、美しさですよ。