選挙権が 手に入ってから、もれなく使っている。
だから、投票に出かけるのは、キライではないし、
MY一票を だれに入れるのが ベストか、と考えるのも、楽しかないが、
脳の別な部分 (大半は仕事用)を使うような気がして、良かった。
ここのところ、隣町における 市議会選の、選挙カーでの挨拶まわりが、
にぎやかで、(私のとこは、川をはさんで、その隣町と隣接している)
その選挙カーが近づくたびに、つい思ってしまうのが、
東京のころは、政党名やら、キャッチ・コピィやら、候補者には、
薄っすらだが、ちがいがあった。
ところが、こっちは、どの選挙カーも、ただひたすら名前を連呼するだけで、
なんとも味気ないナァ、と。
きょうなどは、一様に、「サイゴのお願い」「あと一歩のところ」と、
泣きの色がついていたが、それでも、ひびいてくるものはない。
やっぱり、「こんなときだけ」 といわれようが、
どうせならウソでも、正しいこと、良いことを 声に出して まわってほうが、
建設的だし、投票的にも、教育的にも いいような気がするけどなぁ、
と、自分にはカンケーない隣町の選挙なのに、
そんなことを考えながら、ねぎ苗を植えつづけてました。