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「カンカラカン の カアン」 の 宮沢賢治

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 きのう、農耕機械の操作のことで、父と軽くぶつかりました。

 私の中に、いまだ、父の選んだ道を、何故、自分も歩まねばならないのか、

 という くすぶりが残っているので、ときおり、そうなります。

 宮沢賢治は、私とちがい、商人の家に生まれながら、農業を始めました。

 そんな 宮沢賢治 という人を きちんと知ったのは、私が沈没していた時期、

 つまり、アパレル会社と実家農業との谷間のときでした。

 びっくりしました。

 存在自体が、もう奇跡のように、感じました。

 たとえば、『蠕蟲舞手(アンネリダタンツエーリン)』

 という 詩の一部を抜粋すると、

   赤い ちいさな 蠕蟲が 
   水と ひかりを からだに まとひ 
   ひとりで おどりを やってゐる
  「えゝ、8(エイト) γ(ガムマア) e(イー)
   6(スイックス) α(アルファ)ことにもアラベスクの飾り文字」

 始めはなんのことやら、わけがわかりませんでしたが、

 “蠕蟲”という字が、“ボウフラ”だとわかると、

 もう仰天しましたね。

 (都市生活者は、水たまりのなかで、ムズ痒くて 駄々をこねているような、

  あのボウフラの動きを 見たことがないかもしれませんが、)

 蚊の幼虫である ボウフラの、あのクネった動きを、8、γ、e、6、α、

 アラビア風の装飾文字 にしてしまう感性に スペシャルなものを感じます。

 また、不思議な語感の言葉にも 魅せられました。

「クラムボンは かぷかぷ わらう」とか、

「電信柱の軍隊は、ドッテテ ドッテテ、ドッテテド」だとか、

 もう挙げたら、きりがないくらい、ふんだんに出てきます。

 そのなかで 1番のお気に入りが、「カンカラカンの カアン」です。

 頭のなかで、声にだして、読み上げると、止まらなくなります。

 (私同様、「カンカラカンの カアン」ファンは、大勢いそうですね)

 
 とにかく、宮沢賢治を知って、私は、農業というものに、前向きになったのです。

 だから、百姓仕事で、めげそうになったときに、写真のヴィデオ(“三上”賢治 と

 “緒形”賢治 )を観て、自分のなかに、宮沢賢治的要素をいれ、意志を透明にし、

 大地とつつましく向きあおう、と思ったのです。

 きのうは、2年ぶりに、観るタイミングのような気がしました。

 しかし、どっちを観るか 迷っているうちに、慣れぬ農耕機械に

 振りまわされた、くたくたの体が、気力を奪い、眠気を誘い、

 あ、観なきゃ・・・、あ、ブログ書かなきゃ・・・、と思いつつ、

 頭の隅で、「カンカラカンの カアン」が、ちいさくリフレインするなか、

 床におちました。

Posted in 百姓二揆(ヒャクショー・ニッキ)

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