たまに、掲示板などをのぞくと、
世の中には、何に対してでも、必ずケチをつける アンチな人がいるんだなァ、
ということを 再確認させられます。(どちらかといえば、私もそっち系)
先日、そんななかに、『何が嫌いかで自分を語るより、何が好きかで自分を語れ』
という、ご意見文章を見つけ、「まったくだなぁ」と感心してしまいました。
そんなわけで、
そして、Blog がはじまって、ちょうど一週間がたつので、
これから、自分の好むものを、ぱらぱら書いていこうと思います。
1発目は、好きな『CM』――。
(といっても、あまりTVを見るほうではないのですが)
――ネスカフェの『朝のリレー』です。
これも、掲示板に貼られているのを たまたま見て、素直に「あ、イイ」と感じてしまいました。
透明感のある映像に、ピアノの単音、そして、カムチャツカ という言葉にヤラレました。
私は、小さいころから、地図が好きで、アトラス山脈とか、タンガニーカ湖、
カムチャッカ半島(私はカムチャツカでなく、カムチャッカだと思ってました)
とか、お気に入りでした。
watch againでくりかえし、言葉の流れや “ぼくらは~、~なのだ”
という詩的ニオイが、「谷川俊太郎っぽいコピー文だなぁ」とぼんやり思って、その翌日、
youtube で直接探したら、別の人がUPしたほうに、しっかり、
詩:谷川俊太郎 って書いてあって、ちょっとたまげましたね。
(コピー文かと思ってたら、詩で、しかも本人とは)
その日から一週間くらい、朝晩、サルのようにくりかえし見ていました。
見れば見るほどパーフェクト、心にくるピアノと 小鳥のさえずりから始まって、
カップの中を転がるスプーンの音と “おはよう。ネスカフェ。” の、
ささやかなコピーで、静かに終わる。
中でも、一番ヤラレたのが、朗読の女性の声、でした。
(たとえば朗読する人が、その筋のベテランであったり、女性アナウンサーの類いだったら、
もう別物です。あの透きとおった肺呼吸のような声でないと、あの透明な朝のCMは成立しない、
とさえ思います)
こう書くと、なにやら変態チックに思われるかもしれませんが、声に恋した くらいハマリました。
とにかく、声のフェイドアウトの仕方が、私の中のなにかのツボにハマるのです。
“メキシコの娘~” からはじまる行の文末の、“~バスを待っている” 部分や、
“この地球では~” の行の文末の、“~朝が始まっている” 部分の、
声のとぎれ加減を聞くたびに、恥ずかしいくらい、心を揺さぶられてしまうのです。
ベタ褒めというのも、すこし気持わるいので、ひとつ、ケチをつけてみれば、
カムチャツカ(大きい・ツ)のどん詰まるような、カクカクした響きより、
やっぱり、カムチャッカ(ちっちゃい・ッ)のほうが、軽やかな跳ね感があって、
あの声には合っていると思う、そこが残念。